飛ばし読みが好き
私は、飛ばし読みが好きだ。
小説を読んでいると、ここは読むのに体力を使うなぁという場面に必ず出くわす。するとパラパラと頁をめくり、すうっと入りやすい場面を探してしまう。小説から離れたくは無いけど、もっと気楽に展開を知りたいという心境。そうして、そのうち余裕のある時に元の場面に戻る。
私のような読み方は邪道なんだろうと思い、我慢して順番通りに読んでいた時期も長かった。しかしそれだと、なにかしらの窮屈感がつきまとう。ある時、夏目漱石の『草枕』を読んでいたら、小説は好きなように読んでいい、というように主人公が話す場面が出てきて、そこから気持ちがほぐれ、専ら好きなように読む。
作品と読者、曲と奏者(あるいは聴者)との出会いはどこか似ている。その作品ごとに、自分の琴線とシンクロするタイミングがあるのだ。うまく噛み合った作品は、ずっと心に光り続ける。
私がロンドン留学中に住んでいた部屋の近くに、夏目漱石が昔住んでいたという家があった。それなのに、当時の私には漱石の文章が難しく感じられて、とても遠い存在。ところが、それから10年以上経ったある時『草枕』『私の個人主義』を手に取ってみたら、急に近くに感じられるようになった。
曲についても、昔は譜読みでいっぱいいっぱいで、内容の面白さを感じる領域までたどり着けなかったものが、時間を経て、こんな魅力があったのか!とハッとさせられることがある。
ある時気付いた。
1つの曲を仕上げる過程では、いろんなパッセージをまずパーツに分けて練習するのだが、疲れ具合によっては、明らかに今日はそこを練習するには適さないという場合がある。そういう時は、楽譜を大きく眺め、次に練習するべきところを探す。触らなかったパッセージには、エネルギーを蓄えてから取りかかれば良いのだ。
飛ばし読みと何だか似ている。
だから、飛ばし読みが好きだ。
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