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教えている生徒さん達が、今年のTBSこども音楽コンクール東日本優秀演奏発表会で優秀賞を受賞しました。おめでとうございます!
音楽の流れを読み、それを的確に表現できる演奏を目指し続けた結果だと思います。より良い演奏を求めて、志を高く練習している姿を見られて、嬉しかったです。
私は、飛ばし読みが好きだ。
小説を読んでいると、ここは読むのに体力を使うなぁという場面に必ず出くわす。するとパラパラと頁をめくり、すうっと入りやすい場面を探してしまう。小説から離れたくは無いけど、もっと気楽に展開を知りたいという心境。そうして、そのうち余裕のある時に元の場面に戻る。

私のような読み方は邪道なんだろうと思い、我慢して順番通りに読んでいた時期も長かった。しかしそれだと、なにかしらの窮屈感がつきまとう。ある時、夏目漱石の『草枕』を読んでいたら、小説は好きなように読んでいい、というように主人公が話す場面が出てきて、そこから気持ちがほぐれ、専ら好きなように読む。

作品と読者、曲と奏者(あるいは聴者)との出会いはどこか似ている。その作品ごとに、自分の琴線とシンクロするタイミングがあるのだ。うまく噛み合った作品は、ずっと心に光り続ける。

私がロンドン留学中に住んでいた部屋の近くに、夏目漱石が昔住んでいたという家があった。それなのに、当時の私には漱石の文章が難しく感じられて、とても遠い存在。ところが、それから10年以上経ったある時『草枕』『私の個人主義』を手に取ってみたら、急に近くに感じられるようになった。

曲についても、昔は譜読みでいっぱいいっぱいで、内容の面白さを感じる領域までたどり着けなかったものが、時間を経て、こんな魅力があったのか!とハッとさせられることがある。

ある時気付いた。
1つの曲を仕上げる過程では、いろんなパッセージをまずパーツに分けて練習するのだが、疲れ具合によっては、明らかに今日はそこを練習するには適さないという場合がある。そういう時は、楽譜を大きく眺め、次に練習するべきところを探す。触らなかったパッセージには、エネルギーを蓄えてから取りかかれば良いのだ。

飛ばし読みと何だか似ている。
だから、飛ばし読みが好きだ。

ヨーゼフ・シゲティの奏でるヴァイオリンの素晴らしさは、ずいぶんと前から実感していたつもりだが、今回改めてシゲティの繰り広げる世界にぞっこん惚れた。
後世に残してくれたシゲティの録音の中で今回取り上げる曲は、ラヴェルが作曲した「ヴァイオリンとピアノのためのソナタト長調(第2番と呼ばれることもある)」である。

最近ちょっとしたきっかけで、ラヴェルのソナタの名録音について本腰を入れて探してみようと思い立ち、たどり着いたのがシゲティ によるラヴェルだった。これで共演しているカルロ・ブゾッティのピアノも見事だ。曲の特徴を存分に活かした、2人による対話のようなメロディーのやり取りが爽快である。

1楽章の冒頭のピアノソロ、まず透明感のある音色に癒される。そして追いかけるように出てくるヴァイオリンのメロディー。
クライマックスへ向かって、音がぶつかり重なって調和が崩れるかどうかギリギリの危うい美しさが展開され、そこを乗り越えた後の協和音のきれいな響き。シャリ感のあるシゲティの美音が味わえます。

2楽章のブルース、まずヴァイオリンのピチカートがかっこいい。やがて始まる柔らかい絹のような手触りのメロディー。まるで、声色を自在に操る歌手のようです。夕暮れのような、光と闇が入り混じる味わい深さ。

3楽章は、絶妙。弓の飛ばし方からか、ジェットコースターに乗った時のようなワクワクドキドキ感がずっと続く。速くソツなく弾くというのを目指した演奏では無く、聴く側にも手に汗を握るような経験をさせてくれる演奏。これは、シゲティの狙い通りだと思う。録音なのに聴衆も参加させることができるなんて、なかなかできることじゃありません。

シゲティの爪の垢を煎じて飲ませていただきとうございます。また私の宝物が増えた。
レッスン中にお腹が空くことがある。
しかも、急激に。

場合によっては、お腹から音が発せられる。
(グゥー)

何かパクッと食べられるものがあればいいものだが、大概そういう時に限って持っていない。

ある時から私はそこに居合わせる生徒さんに、その空腹感を伝える事にした。

「先生お腹が空いた」

こうしてみると、あら、意外と何とか乗り越えられるものである。
黙って耐え忍ぶよりも、よっぽど良い。
私の好きなヴァイオリニスト、ジャック・ティボー。あのロン・ティボー国際音楽コンクールの創始者の1人としても有名ですね。

音楽の旨みとは?と考えた時に、すぐに思いつくヴァイオリニストである。
ピアニストのコルトーと共演しているフランクのヴァイオリンソナタの音源は、その存在を教えてもらった途端に気に入り、宝物だ。
それを紹介してくれた時の師匠「3楽章の最後の音程の取り方が素晴らしい」
本当にそうだ。すこーしだけ低めの音程なのが、そこの暗い世界観に見事に溶け込んでいる。

何だろう?噛めば噛む程美味しいお煎餅のような、この充実感のある音楽。そして間の取り方も独特なんだけど、美味しいものと美味しいものを食べる間のような幸福感。

これも、生きている間に沢山味わいたい演奏である。シャンソンのような甘い気だるさがいいなぁと思いながら聴いていると、ティボーとコルトーの表現のスイッチが切り替えられ、爆発的に熱い音楽になったりもする。要するに、表現の引き出しが多い。年月を経て旨みがギュッと濃縮されたような演奏は、聴くたびに私に何かを与えてくれる。

とても古い録音だが、聴けば聴く程、引き込まれる演奏だ。
大変個性のはっきりした人達の集まる学校へ高校からドボンと入ったため、最初は戸惑った。才能に溢れている(ように見える)人もいた。
「華のある人」について同学年の仲間と話題になることもあって、私には華が備わっているのかどうかとウジウジと思い悩んだりもした。

果たして、何のために私はヴァイオリンを弾いて、練習しているのか?

音楽の世界は一般的には楽しそうに見えるかもしれないが、楽器の練習はスポーツ的な身体訓練の要素もあるため繰り返しがほぼ必須で、音楽面で弾きたいイメージがあってもすぐに身体が順応して演奏できるとは限らない。だいたい、まずは1人きりで練習だ。それに加え、理想があればあるほど、すぐにできる事の方が少ないと言っても過言ではない。練習すると、頭も身体も割と疲れるものだ。
時には自分が弾きたい理想の音楽さえ分からなくなって、路頭に迷う。

暗い気分の時、調布の図書館にはずいぶんと助けられた。図書館でパラパラとめくっていた雑誌にあったヴィクトール・フランクルの言葉から、その学校での環境に身を置いている自分の人生にも何かしらは意味があるんだろう、それをどう生かすか人生が問いかけてきているのだろうと思って何とか大学まで過ごした。調布の図書館は、どこでもドアがあったら今でもすぐ行きたい位で、オアシスのような場所だ。

そして、卒業してからずいぶんと時間が経って、個性が強い人達に囲まれた高校と大学の7年間を懐かしく感じるようになった。

ずっと引っかかっていた華については今のところ…

華というのは、誰の中にでも眠っている。何も考えなくても掘り起こされ、溢れ出ている人もいるだろう。だけど、そういう人はそういう人で、その華に自ら気付き、水をやり続ける努力がいるようだ(仲間を見ていてそう思うから)。
それぞれの華をどう見つけだし、どのように生かしていくかは自分との向き合い方にかかっている。他人との勝負ではない。自分の華を見つけるための呼び水として、華のある人の演奏を参考にすることはあっても。

…と思っている。
指揮者のカルロス・クライバー。
初めて彼を画面で目にしたのは、桐朋の附属図書館にある視聴覚室。踊っているような優雅な動きと、そこから魔法のように湧き出てくる演奏にゾクゾクした。たぶんブラームスの交響曲第2番だ。

そのカルロス・クライバーが指揮するヨハン・シュトラウス「こうもり」序曲のリハーサル映像が残っている。久しぶりに見て、益々この指揮者の虜になった。
本番での優雅なタクトに結びつく、リハーサル中に出てくる比喩を用いた絶妙な表現。

「そこのリズムに、ニコチンと毒が足りないことに気付いた」
今回印象に残った言葉。
暗闇の中に浮かび上がる光。私の好きなものの1つ。実際の光景を見るのも好きなのだが、それがテーマの絵を見るのはもっと好きだ。「小さい洞窟の中。ロウソクを持っている手は皺だらけで浅黒く、人生の荒波を乗り越えてきた顔が薄暗く照らされている。その表情は読み取りにくいが、深く祈っているようだ。」という絵。

セロニアス・モンクの「ラウンドミッドナイト」を最近知って、結構聴いている。これを聴くと、絵を眺めている時と同じような気分になる。

心の琴線に触れる。
どこか厳粛なのにリラックスできる。
「音楽を感じ、考え、実行せよ!」
と、あるチェリストが言っていた。

生徒さんの音楽を磨いていくために、あれこれ考えるのが好きだ。ああでも無い→こうでも無い→これだー!に行き着くまでの過程がすごく好き。

高校からのめり込んでいた弦楽四重奏(カルテット)の練習で、メンバーの皆とアイディアを出し合って音楽を作りあげる時に経験した喜びと共通するものがある。
それまで混沌としていたものの中から、何かがすくい上げられる感じ。

この喜びを生徒さん達と沢山分かち合いたい。

前の記事について考えながら、ふと気付いた。
自分の中に、生きていくための糧となる音楽が存在することに。すごく好きなんだけど、死ぬ前に聴いておきたいというよりは、生き延びるために聴く音楽。
バルトークは大好きな作曲家だけど、どちらかと言えば、生きていくための糧という、このジャンルにぴたりとくる曲が多い気がする。生きている間に沢山聴いて、毎日を何とかやっていく勇気をもらいたい。

弦楽四重奏曲第3〜5番
弦楽のためのディベルティメント
ルーマニア民俗舞曲
ミクロコスモス
ヴァイオリン協奏曲第2番
ラプソディー
コントラスツ

音がぶつかる複雑な和音の中に、鮮やかな色彩が表現されていく。大胆さと繊細さの両面を感じることが多い。子供の時にバルトークを初めて聴いた時の衝撃(奇妙さ加減)は、ずっと心にある。そして今では、その奥に深い森のような包容力があると思う。悲しくて泣きたい時も、そっとそこにいて慰めてくれる。

セロニアス・モンクは最近知ったけれど、私にとってはバルトークと同じ匂いがする。
やはり、大変な世の中だけど生きていこうと思わせる何かがある。

共通するのは、押し付けがましくないのに個性があるところ。

あぁ、1番好きな作曲家/演奏を決めるのは、難しい。
という結論に至った。好きといっても、いろんな角度があるものだ。
ある店で、偶然そこに居合わせた数人が音楽のことで盛り上がり、好きな作曲家についての話が出た。ちなみにその中の1人がすぐに名前を挙げたのが、レスピーギ。
それを聞きながら「いろいろいるけど、自分の中で最初に出てくる作曲家って誰だろう?」と呟いた人がいて、確かにと思った。

そこで私の場合、死ぬ前に何が食べておきたいか、どこへ行っておきたいかという質問と同様に扱ったら絞りきれるかもと考え始め、死ぬ前に聴いておきたい程好きな演奏、の曲を作った人達かなぁと思った。
ついでに、そのリストを思いつく順に挙げておく。


ベスト①
ブラームス: ピアノ三重奏曲第1〜3番
スーク(ヴァイオリン)、カッチェン(ピアノ)、シュタルケル(チェロ)の演奏

②ブラームス: ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1〜3番
スークとカッチェンの演奏

③ラヴェル: ピアノ協奏曲ト長調 第2楽章
アルゲリッチ(ピアノ)、アバド指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

④ラヴェル: 水の戯れ
アルゲリッチ(ピアノ)

⑤ベートーヴェン: ヴァイオリン協奏曲
メニューイン(ヴァイオリン)

⑥ベートーヴェン: クロイツェルソナタ
スーク(ヴァイオリン)とパネンカ(ピアノ)
シゲティ(ヴァイオリン)とバルトーク(ピアノ)

⑦バッハ: 主よ人の望みの喜びよ
リパッティ(ピアノ)

⑧パガニーニ: ヴァイオリン協奏曲第1番
フランチェスカッティ(ヴァイオリン)

⑨バルトーク: 管弦楽のための協奏曲
フリッツ・ライナー指揮、シカゴ交響楽団

⑩ラフマニノフ: ピアノ協奏曲第2〜3番
ラフマニノフ(ピアノ)、オーマンディ指揮

・Sno’ Peas
ビル・エヴァンズ(ピアノ)とツゥーツ・シールマンズ(ハーモニカ)

・ワルツ・フォー・デビー
ビル・エヴァンズのトリオ版

音楽と文学の大きな違いは、黙読だけでその世界が完結できるかどうかだと思う。
文学では、文字を通して、作家が物語を世に送り出し、読み手が受け取る。
音楽(特にクラシック界)では、楽譜を通して、作曲家が曲を世に送り出し、演奏者がそれを読み取り音を発し、その音を聴き手が受け取る。

演奏者がどう料理するかで、曲の印象もガラリと変わる。5月もモチベーションを上げていくぞー!
ベートーヴェンのクロイツェルソナタについて最近質問を受けることがあって、いろいろな音源を改めて聴いてみた。こりゃ、すごい曲ですね〜!

私にとっては、かっちりとした硬派な名曲というイメージだったこのソナタ。もちろん、正統派という認識はこれからも変わりは無いのだが、硬軟どちらの性格も併せ持つ、という面白さに今回気付いた。
そして、当時にしてみたら革新的なことだっただろうと予想できる曲展開の仕掛けをいろんな場所に作っている。

第9交響曲の4楽章の出だしの面白さ(1〜3楽章の主なメロディーを取り出して、この場面に相応しいのはあれでもないこれでもないと進む)、ヴァイオリン協奏曲の1楽章冒頭をティンパニーのソロで始める、とか、ベートーヴェンはただの真面目な堅物では無く、遊び心と新しい音を求めていく人だったんだろうなと今までも感じてはきたけれど、クロイツェルソナタでもやってくれているんですね。そこが今回の発見。

ベートーヴェンの後に生まれる(クラシックに限らない)音楽の源泉になったんじゃないかと思えるような拍子をわざと変えて崩す場面や、3楽章の出だしをいきなりジャーンと和音1種類にするとか、何だかすごい。

2楽章でのバリエーション展開でヴァイオリンが奏でるメロディーは、まるで絶世の美人をずっと眺めているような、正統派の美しさ。ただテーマ展開を機械的にしている訳ではなく、ベートーヴェンが美しいメロディーの作り手であった事がよく分かる。最初の方のバリエーションで、運命(第5交響曲)のモチーフと同じところがあって、同じ音が3〜4音続くシンプルな美しさが光っています。ここは奏者の味付け方や個性がよく出るところ。

私のおすすめ音源は、スーク(Violin)&パネンカ(Piano)の演奏です。1楽章の冒頭、パネンカの演奏が少し控えめに聴こえるけれど、音量をいつもより上げて聴くと、細かいニュアンスが聴こえてきて、バランス良く味わえます。
そして、スークが蘇ってくれるなら、スークの美音、ぜひ生でも聴いてみたい。あまりの美しさに、しびれます。